正法寺とは
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曹洞宗の古刹、大梅拈華山圓通正法寺は、南北朝時代の貞和4年(1348)、無底良韶禪師によって開かれました。無底禪師は能登国の出身で、※1大本山總持寺二祖※2峨山韶碩禪師の高弟でした。峨山禪師には25人の優れた弟子(※3峨山二十五哲)がおりましたが、無底禪師はその第一番に列せられています。無底禪師発心前の19歳の時、熊野本宮大社(和歌山県)に参篭したところ、「もし出家修行するならば佛法純熟せん」との夢告があり、霊石一箇を授けられたと伝えられております。奥州を開闢の地に選ばれたのも、この霊石の告によるものとされています。寺地選定にあたっては、峨山禪師の嗣法を受けた後の禪師34歳のとき、初めて黒石郷の地に入り、もしこの地が佛法の霊場ならばその証を見たいと念じたところ、夜寅の刻(午前4時頃)に至って佛法僧(コノハズク)が鳴いたこと、また、二夜に亘って霊夢があり、守林神が一対の鹿となって現れ、道場開闢を喜び祝したとあります。
こうして開創した正法寺ですが、無底禪師は14年間の住山で遷化されます。無底禪師の後を嗣いだ※4月泉良印禪師は、「月泉四十四資」と呼ばれる数多くの弟子を養成し多くの信奉者を得て、正法寺一門は大きく発展しました。この開山無底良韶禪師・二祖月泉良印禪師の間に※5綸旨、及び總持寺峨山禪師からの認可状を得て、正法寺は※6永平寺、總持寺と並んで東北地方における「第三の本山」の格式を得ました。その勢力は東北地方を中心に関東関西にまで広がり、東北地方の宗教、文化の形成に大きな役割を果たしてきました。末寺の数は往事、508ヵ寺とも1200ヵ寺とも記されておりました。「第三の本山」の格式は江戸初期に幕府の政策よって失われましたが、由緒ある古寺として仙臺伊達藩から寺領や建物の寄進等で別格の待遇を受けておりました。現在も73ヵ寺の末寺を有し、宗門において特別の格式を保持する古刹として広く知られております。  
  • ※1 瑩山紹瑾禪師開創。石川県輪島市、現在は神奈川県横浜市鶴見区に移る。
  • ※2 瑩山禪師の高弟で曹洞宗発展の原動力となった俊秀。平成27年(2015)、峨山韶碩禪師650回大遠忌が行われた。
  • ※3 峨山二十五哲によって瑩山禪師の正法は全国に広がりをみせ、曹洞教団の主流となった。
  • ※4 峨山二十五哲 第十三番。
  • ※5 天皇の意向を受けて発給する命令文書。
  • ※6 道元禪師開創。福井県吉田郡永平寺町。
  • ※7 無底禪師の自画自賛画で遷化の前年延文5年(1360)に描かれ、岩手県内の頂相画では最も古い。
      この絵を素にして無底禪師御尊像が彫られている。絹本著色、縦72.6×幅36.2cm(岩手県指定文化財)