境内案内
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惣門
(国指定重要文化財)
寛政11年(1779)の正法寺大火を免れた惣門で切妻作り、とち葺の四脚門で寛文5年(1665)の建築物です。禅宗様式(肘木の曲線や円柱のすぼみ)の手法で寺院の四脚門としては岩手県最古の遺構で、建築史上大変貴重な門になります。
法堂
(国指定重要文化財)
法堂とは住職が仏に代わって説法する道場のことで、室内中央須弥壇には御本尊の如意輪観世音菩薩をお奉りし、朝晩の読経、年間の種々の法要もここで行われます。入母屋造で、日本最大級の茅葺の大屋根を備え、間口二十一間半・奥行十二間半・高さ26メートル・百六十六畳敷きの正法寺随一の大建築です。棟には伊達家の家紋、竹に雀、三引両、九曜がついております。伊達家の家紋がつく理由は、仙台藩から寺領を受け、また建物の修復を受ける等別格の待遇を受けており、伊達家は正法寺にとって大壇越だったことを示しております。御本尊は、鎌倉時代後期の作で県指定文化財となっております。秘仏になっており、普段は前立ちの観音様を安置をしております。十月十六日の熊野大権現の縁日の御祈祷時に一年に一度御開帳いたします。
釈迦三像
(県指定重要文化財 法堂 西序室中)
本来であれば佛殿に安置される三尊佛ですが、1799年の火災後佛殿は再建されず、法堂西序室中の上段に仮安置し、現在にいたります。中央は釈迦牟尼如来、向かって右は獅子座に乗る智慧の象徴の文殊菩薩です。向かって左の象座に乗る普賢菩薩は慈悲の実行の象徴の菩薩となります。
涅槃図
(法堂 東序室中)
1700年頃の作品で伊達家からの寄進物です。縦四メートル、横約五メートルの大作です。お釈迦様が80歳の時、クシナガラの地で病に臥し、八本の沙羅双樹の間に北枕で右脇を下にして身を横たえ入滅される光景を描いたものです。周囲には嘆き悲しむ菩薩、弟子、天人、俗人、様々な動物たちが描かれており、右上にはお釈迦様の母親摩耶夫人が飛来しております。八本の沙羅双樹の中を選ばれたのは、仏の自在神力を示すためで、四本の沙羅樹は、最後の説法が終わるとたちまち枯れ、他の四本は青々と栄えました。これを四枯四栄といい、お釈迦様の肉体は涅槃に入りたもうとも、説かれし仏法は後世に残り栄えることをしめします。本来二月十五日の涅槃会の時に開かれるものですが、正法寺では常時こちらに掛けられております。
開山堂
(奥州市指定有形文化財)
1849年頃の再建でお堂正面には永平寺開山の道元禅師像、總持寺開山瑩山禅師像、總持寺二代、正法寺開山の無底禅師のお師匠様にあたる峨山禅師像と歴代住職のお位牌をお奉りいたしております。そして両脇には、お釈迦様のお弟子でお悟りをひらかれた、特に優秀な十六人のお弟子である十六羅漢像が安置されております。本来は正法寺開山無底良韶禅師像・二代月泉良印禅師・三代道叟道愛禅師の像もこちらに安置されておりましたが、県指定の文化財に指定され、現在は宝蔵庫に安置されております。
庫裡・鐘楼堂
(国指定重要文化財)
鐘楼堂は江戸末期の建築です。現在も定刻に時を知らせる梵鐘を一日も休むことなくついております。庫裡は国指定の重要文化財で寄棟造の160坪近い大建築で客間、副寺寮(会計・収支を司る)、現在は実際に使用されてはおりませんが典座寮(食事を司る)、飯台場など様々な機能を持つ建物です。土間と典座寮の間には韋駄尊天が奉られております。韋駄尊天は僧・伽藍・および斎供(食物)の守護神とされ、寺院の玄関口に奉られます。朝の勤行の後や托鉢の出発到着の際にも韋駄尊天の前で読経を行います。
僧堂
昭和31年再建の坐禅堂で、入口の正面に当たる中央に「聖僧」として文殊菩薩の坐像が安置されております。そして文殊菩薩を囲むように、建物の壁に沿って僧侶個人の坐禅・生活の場である「単」が連続して設けられています。開枕(消灯時間)になると、この「単」の上に布団を敷き休み、食事も「単」の上で行います。単の大きさは1人1畳です。修行僧が集団生活を行いながら仏道修行に励む場です。修行僧(雲水)が集まることから雲堂、仏祖が選ばれることから選仏場とも呼ばれます。
(※通常一般非公開)
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六祖伝衣・桐竹文綾九条袈裟
(岩手県指定文化財)
この袈裟は、芙蓉道櫂禅師(中国曹洞宗六代山東省天寧寺)から天童如浄禅師に附与された伝衣です。中国で如浄禅師から道元禅師に伝えられ、孤雲懐弉禅師(永平寺二代)、徹通義介禅師(永平寺三代)、瑩山紹瑾禅師(總持寺開創)、峨山韶碩禅師へと伝えられ、康永元年(1342)、正法寺開山無底良韶禅師へと相承されたものとされております。