
釋迦涅槃図とは
釋尊(お釋迦さま)が80歳のとき、クシナガラで病に伏し、4方に2本ずつ植えられた沙羅双樹に囲まれた寝台の上で、北を枕に西を向き、右脇を下にして横たわり、入滅する様子を描いたものです。
周囲には深い悲しみに暮れる菩薩・弟子・天人・在家の人々が集い、象・獅子・虎・鳳凰・鶴・鶏などの動物も描かれています。また、右上には釋尊の母・摩耶夫人が天から飛来する姿が表されています。
正法寺の涅槃図は、寝台の右側が見える「宋形式」の構図をとりながら、本来なら寝台の中央に配置される双樹が、釋尊の姿を遮らないよう位置をずらして描かれています。
この涅槃図は、釋尊が入滅したとされる2月15日に行われる「涅槃会」の際に公開されます。
涅槃会諷經
2月1日〜14日の期間、曹洞宗の寺院では涅槃図を法堂(本堂)東側の室中という部屋に掲げ、晩課(夕方の御勤め)の際にお釋迦さま最後の説法とされる『遺教經(佛垂般涅槃略説教誡經)』という御經を読誦します。
そして、命日とされる2月15日にお釋迦さまの威徳を偲ぶ「涅槃会」と呼ばれる法要が執り行われます。
當山の涅槃会は参詣者のどなたでも御自由に参列することができます(別途拝観料)。
詳しくは「正法寺 総合受処」までお問い合わせください。

2026年
2月15日(日)10時より
正法寺 法堂 涅槃図前に於いて
正法寺所蔵『釋迦涅槃図』と宮床伊達家
この涅槃図は、宝永5年(1708)に作成された『正法寺什物牒』には「涅槃像 牧野筆 言察代 伊達肥前宗房公施主」と記されており、本図はその記録に該当する作品だと思われます。
宮床館主・初代伊達宗房公(1646〜1686)は、仙台藩2代藩主・忠宗公の8男で、初代藩主・政宗公の孫に当たります。母は側室・小笹(山戸土佐の娘)で、正保3年(1646)青葉城に生まれました。
4歳のときに田手高実の嫡女に配され養子となり、岩手県口内村(現・北上市)で1700石を賜わり、初めは田手肥前宗房と称しました。
万治2年(1659)、14歳で伊達姓を与えられ、一門に列せられました。翌年、在所を宮床村に移し、小野村を合わせて3000石となりました(2代村興の代には8000石)。
築城・屋敷割・社寺の建立などに尽力し、夫人・松子と共に厚く神佛を信仰し、宮床の礎を築きました。
宗房の長子である吉村(1680〜1751)は、元禄16年(1703)に4代藩主綱村を継ぎ、仙台藩5代藩主となっています。
こうした系譜から判断すると、この涅槃図もその時代、すなわち17世紀後半に制作された可能性が高いと考えられます。

伊達宗房画像 (覚照寺所蔵)
宮床伊達家 初代館主

大義山 覚照寺(宮城県黒川郡大和町)
寛文6年(1666)、宗房公が母・小笹のために慶雲寺を建立しました。
その後、嫡男で仙台藩5代藩主となった吉村公が覚照寺と改称しました。

伊達吉村書
巡国の際に正法寺へ立ち寄った仙台藩主・伊達吉村公が當山の由緒を記し、その佇まいを愛でて詠んだ和歌です。吉村は宮床伊達宗房公の嫡男として生まれ、後に伊達綱村公の養嫡嗣となって藩主を継ぎました。藩財政を立て直すなどの政治手腕に優れ「中興の英主」と評されたほか、和歌や書画などの芸術面にもその才能を発揮したことで知られています。

[関連展示]
當山所蔵の仙台藩第五代藩主・伊達吉村公の書は、涅槃図の関連展示として、2026年2月1〜28日まで、 當山庫裡「瑞鳳閣」床の間にて展示致します。
- [共催]
- えさし郷土文化館
- [後援]
- 奥州市 / 大和町教育委員会
/ 東日本旅客鉄道株式会社 盛岡支社
/ (株)JAZZRIZE DESIGN
