正法寺七不思議
seven wonders
正法寺には、いつの頃からか語り伝えられてきた七つの不思議な言い伝えがあります。
これらの言い伝えは、身近で村のお年寄りによって語られてきた、大変貴重なお話しでもあります。
そこには、人の情けや人の幸せを願う気持ちが含まれているように思えます。
この言い伝えが、これからも語り継がれていくことを願ってやみません。
文福茶釜
ぶんぶくちゃがま
お茶会などでお湯を沸かす時に使われた茶釜だそうですが、汲んでも汲んでもお湯が減らず、それどころかどんどんお湯が湧き出す不思議な茶釜だったそうです。
更にこの茶釜は勝手にあちらこちらに移動するので、太い鎖で本堂の隅につないでおりました。ある日、大火災で茅葺の大本堂は瞬く間に炎に包まれました。
鎖でつながれた茶釜は熱くてたまりませんでしたが、逃げるに逃げられず……
あまりの熱さで蓋だけが遠くへ飛んでいきました。逃げた先は群馬県の「茂林寺」というお寺。そのお寺では「守鶴の釜」といわれております。
この群馬県館林市にある茂林寺という曹洞宗のお寺は全国的にも有名で、日本昔ばなし「分福茶釜」の題材にもなっております。
飛龍観音図
ひりゅうかんのんず
観音様が龍の背中に御乗りになっている様子が描かれた絵画。
本物は宝物庫にて大切に保管されておりますが、庫裡「瑞鳳閣」の床の間に複製画が掛けられており、一般参拝者の方々でも御覧頂けます。
室町時代末期から安土桃山時代にかけて、「雪村(現在の茨城県出身)」という僧侶によって描かれました。
この掛軸を開いただけで、たちまち雨が降るという言い伝えがあります。
慕弥の扇
ほやのおうぎ
正法寺を開いた無底良韶禅師の持ち物であったとされており、宝物庫に展示・保管されております。
この扇には、無底禅師がお生まれになったいきさつを含み、悲しい物語が伝えられております。
むかし、奥州安達郡(現在の福島県)に、田村藩士・亀井辰治郎という文武両道にすぐれた美男子おりました。
ある日、辰治郎は村の若者とともに、三重県にある伊勢神宮にお参りに出かけ、その帰り際に松坂というところにある扇屋に立ち寄ったそうです。
そこの扇屋にはお鶴という娘がおりました。お鶴は辰治郎の容姿にひとめぼれし、「ほや(恋しいという意味)の扇です。」と言い辰治郎に扇を手渡し告白しました。
しかし、辰治郎と一緒だった村の若者がこれを羨ましく思い、「ほやとは、ほいと(仕事をしない怠け者)のことだ。」と、辰治郎に嘘を教えてしまいます。
怒った辰治郎は、お鶴を刀で切り捨て死なせてしまいますが、あとで本当のお鶴の気持ちを知り後悔することになります。
その後、辰治郎は犯した罪を深く反省し、お鶴の位牌と結婚することで扇屋を継ぐことを決意します。
毎日、お鶴の位牌に手を合わせていると、いつの頃からか、お鶴が幽霊となって辰治郎の前に現れるようになりました。
……やがて二人のあいだに子供が生まれました。お鶴はその子をお坊さんにするよう辰治郎に頼むと、姿を見せることはなくなりました。
時がたち、お鶴と辰治郎の間に生まれた子は立派なお坊さんとなり、後に岩手県黒石に正法寺をお開きになられたということです。
  • 八つ房の梅
    やつふさのうめ
    正法寺の境内には、房が八つ以上もある珍しい梅の木があります。
    山号からも分かるように、當山では開山無底良韶禅師が「夢の中で全山満開の梅の花が嵐によって吹き下り、鼻孔に入ったところで醒め、これは道元禅師が中国大梅山護聖寺で威徳した霊夢に同じ」ということで名付けられました。
    一時期寿命で枯れてしまい、長い間みることができませんでしたが、平成21年3月に石川県のとあるお寺より八つ房の梅をゆずり受け、現在は庫裡の前に植えられております。
  • 児啼きの池
    こなきのいけ
    子供の泣き声が聞こえてくるといわれた池です。
    その昔、ある母親が子供を育てられなくなり、7月15日の夜中、正法寺境内の池に子供を捨ててしまったそうです。それから夜ごと池から子供の泣き声が聞こえるようになりました。
    可哀そうに思った和尚様の読経供養により、それ以来泣き声は聞こえなくなりました。今も耳を澄ましてみると、ときどき池から泣き声が聞こえてくるという話もあるようですが…。
  • 虎斑の竹
    とらふのたけ
    むかし境内の竹林に、虎の背の毛のように、太い黒色のまだら模様のある竹が生えていたそうです。
    道元禅師が宋でトラに襲われた時、手にしていた拄杖が龍と化して追い払った。その時にこの斑模様がついたという言い伝えがあります。
    現在は殆ど見かけなくなりましたが、山の奥にひっそりと生えているのかもしれません。
  • 片葉の葦
    かたはのよし
    葦の葉っぱが、片方にしか生えない珍しい植物がお寺にはあります。
    當山開山の無底良韶禅師の愛馬が亡くなり、境内に埋葬したところ、馬のたてがみのように片方だけに葉が付いた葦が生えてきたということです。
    現在も、境内の杉林付近で見ることができます。